島村 英紀
1941年 東京生まれ
1954年 学芸大学付属大泉小学校卒業
1967年 東京教育大学付属中学校卒業
1960年 東京教育大学付属高等学校卒業
1964年 東京大学(理学部物理学科)卒業
1979年 北海道大学理学部海底地震観測施設長(初代)
1997年 ポーランド科学アカデミー外国人会員(終身)
1998年 北海道大学地震火山研究観測センター長(初代)
2004年 国立極地研究所所長
2007年 武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授
2008年 武蔵野学院大学特任教授
専門は地球物理学(地震学)。
講談社出版文化賞、産経児童出版文化賞、日本科学読物賞を受賞。
『新・地震をさぐる』(さえら書房)2011年11月初版。
『地球環境のしくみ』 (さ・え・ら書房)2008年4月初版。
『地震と火山の島国ー極北アイスランドで考えたこと』、(岩波書店・ジュニア新書)2001年3月初版。2002年5月に産経児童出版文化賞を受賞。
『地球がわかる50話』(岩波書店・ジュニア新書)1994年7月初版。1997年度から2005年度まで一部を中学校国語の教科書(教育出版)に掲載。1997年に日本語能力試験(国際交流基金と国際教育教会)に使われたほか、1998年に韓国ソウル日本語能力試験と香港日本語教育研究会での日本語能力試験にも使われた。
『深海にもぐる』(国土社)1987年6月初版。のちに文庫版(てのり文庫)を刊行。1990年度から1996年度まで一部を中学校国語の教科書(東京書籍)に掲載。1990年に北京で中国語版を発行。
地震の仕組みと東日本大震災
地震学者、そして地球物理学者として生きてきた私にとって、昨年3月に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は衝撃的なものだった。環太平洋地域のあちこちで起きてきていたマグニチュード9クラスの超巨大地震が、「いずれ」ではなくて、「いま」日本で起きてしまったことの衝撃であった。
残念ながら、地震予知は日本でも約半世紀前に研究が始まってから、当初期待されていたほどは進んでいない。今回の地震も含めて、過去一度も地震予知に成功していない。しかし一方で、「いつ起きるか」以外の「どこで」「どのような地震が」「なぜ起きるのか」という研究は、かなり進んできている。
●日本を襲う二種類の地震
日本を襲う地震には2種類ある。海溝(かいこう)型地震と内陸直下型地震である。東北地方太平洋沖地震は海溝型地震で、1995年に起きて阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震は内陸直下型地震だ。
地球の表面はプレートと言われる岩の板で覆われている。その厚さはタマゴを地球の大きさに拡大したときに、ちょうどタマゴの殻ほどの厚さになる。タマゴと違うことは、その殻がいくつにも割れていて、そのお互いが押し合っていることだ。そして、このプレート同士の衝突が地震を起こすのである。
日本付近は4つのプレートが押し合っているところだ。4つもが押し合っているところは世界でもめったにない。このため、日本は世界でも有数の地震国になっている。
この2種類の地震のうち、海溝型地震は、プレート同士が押し合っている最前線である海溝の近くで起きる。海溝とは、海底に溝のように深く、長く伸びている谷状の地形だ。東北地方太平洋沖地震は、東日本の太平洋沖、約150〜200kmにあって南北に伸びている日本海溝を舞台にして起きた。
地震が海底で起きるときは、震源断層の動きが震源の上にある海水を動かす。このために津波が生まれて、大きな被害を生んだ。
一方、内陸直下型地震は、日本列島を載せているプレートが、別のプレートとの押し合いで捻れたり歪んだりして起きる。このため、日本列島のどこにでも起きる可能性がある。厄介なことは、どこに起きるか分からないことのほか、直下型として起きるために、地震の大きさ(マグニチュード=M)がそれほど大きくなくても大被害を生むことがあることだ。例えば、阪神淡路大震災を起こした地震のMは7.3。これは東北地方太平洋沖地震に比べると、地震のエネルギーとしては350分の1しかない。しかし、神戸や淡路島という人口密集地の直下で起きたために、6400人以上の犠牲者を生んでしまった。
●東北地方太平洋沖地震の震源で起きたこと
海溝型地震は、北海道から沖縄まで、日本の太平洋岸沖のあちこちで、昔から繰り返し起きてきている。十勝沖地震(2003年)や南海地震(1946年)のような地震だ。それぞれの場所で80年から150年くらいの間隔で繰り返し起きる、M8クラスの巨大な地震である。
しかし、東北地方太平洋沖地震はこれらの地震の数個分が、ドミノ倒しのように地震断層の動きが次々に隣に伝わっていくことで起きてしまった地震だった。このためにM9という超巨大な地震になってしまったのだ。
実は、この種の超巨大な地震は、いままでもチリ地震(1960年)やアラスカ地震(1964年)など、環太平洋の各地で起きている。大津波が発生してインド洋各地で22万人以上の犠牲者を生んだスマトラ沖地震(2004年)も、同種の地震である。これらの地震はいずれも大きな津波を生んだ。
M8クラスの地震が繰り返し起きている場所で、なぜ、その何回かのうちの1回が、ドミノ倒しの超巨大地震になるのかは、残念ながら、まだ分かっていない。
しかし、今回の東北地方太平洋沖地震が起きてから調べ直すと、過去に日本を襲った地震にもこのような超巨大地震があったのではないか、ということが分かってきている。そのひとつが宝永地震(1707年)である。いまの静岡県から高知県の沖までを震源にして起きたこの地震は、東北地方太平洋沖地震に匹敵する大きさの地震ではなかったかといわれている。
●これから起きる地震に備える
静岡県を中心として東海地震が起きるのではないかということが1970代から言われているが、警告されてから30年以上が経ってしまった。しかし、この先何十年も起きないことはあるまい。その上、近頃では東海地震が単独で起きるのではなく、宝永地震の再来のような超巨大な地震として起きる可能性があると言われている。いままでの東海地震への備えだけで十分なのかが問題になってきている。
そして、もうひとつ恐いのが、東京とその周辺を襲う直下型地震である。地震の歴史を見ると、江戸や東京が襲われた直下型地震は多い。中でも、安政江戸地震(1855年)は、内陸に起きた地震としては日本史上最大の犠牲者を生んだ地震である。
前に阪神淡路大震災の例で見たように、直下型地震は例えMがそれほど大きくなくても、人口密集地の直下で起きると大きな被害を生む可能性が大きい。
実は、日本付近にある4つのプレートのすべてが集まっているのは、首都圏の地下なのである。このために、江戸や東京は頻繁に直下型地震に襲われてきたのだ。
生憎なことに、日本の地震の歴史は地震のたびに、いままでなかった震災が生まれてきて、対策がいつも後追いになってきた歴史だった。
地震は自然現象で人智を超えたものだ。しかし震災は、地震と人間社会が重なったときに起きる社会現象である。地震に襲われるのは日本に住む以上、やむを得ないとしても、震災を小さくくい止めることは、人間の知恵なのである。
●私の附属小学校時代
私は1948(昭和23)年に入学した。教育制度が変わった新制の第1期生である。きく組とふじ組が始まったのも私たちからで、1学年2クラスだった。
いまでは考えられないが、授業としての畑作業があった。あちこちに雑木林があり、郊外というよりも田舎の学校の雰囲気だった。
小学校ではクラス替えはなかった。実験校として私たちの学年だけの試行だった。担任は久礼美恵(1、2年生の担任)、永嶋浩一(3、4年生の担任)、染田屋謙相(5、6年生の担任)の各先生だった。
どの先生もいい先生だったが、なかでも永嶋先生は、私が人生でもっとも影響を受けた先生だった。東京教育大学(当時は東京高等師範)を出たばかりの若い先生だったが、権威を疑うこと、詩を書くこと、また当時、日本ではまだ珍しかったサッカーを楽しむことを教えてくださった。
まだ独身で大酒飲みの先生だったので、朝も自分では起きられなかった。大泉学園駅の近くのアパートの部屋に、私たち数人の男女の生徒が先生を起こしに行ってから、先生と一緒に学校へ行くのが常だった。
いまの教育現場ではとても居られそうもない、ユニークで、かけがえのない、いわば無頼派の先生だったのである。