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瀬尾佳苗さんを悼む

 平成23年3月11日、私は、72回卒業生の「菊の園感謝の会」に出席し、卒業生及び保護者の皆様にお祝いと泉友会の案内をお話しました。同時に卒業記念品の6年間の写真を編集した「DVD写真集の制作」を発表し、目録を卒業生代表の子供さんに手渡しました。このお話の十数分後にあの大地震が襲って来たのです。会場の体育館は強く長く揺れ、天井のライトは千切れそうに振り切っていました。子供たちは一時テ−ブルの下に隠れ、少し揺れが治まると体育館から校庭に避難し、整列して地震が止むのを待ちました。日頃から避難の訓練をしていたのでしょうか、見事に慌てず行動をしていました。当日は、幸いにも保護者が同伴していましたので、子供たちをほぼ全員保護者にお渡しすることができ、また下級生はこの会のために早めの下校していたため、大きな混乱を招くことはありませんでした。
 一方、その頃東北地方へは大地震の後の大津波が襲い掛かりました。大変残念なことに、64回卒業生の瀬尾佳苗さんが、大船渡市で津波の被害に遭い行方不明となったのです。ご家族は直ぐに現地へ向かい、必死に捜索にあたりました。
 当時の逼迫した状況は、【Person Finder (消息情報): 2011 東日本大震災】では、

〇「未だご家族をはじめ、佳苗さんと連絡が取れておりません。引き続き情報ありましたらお願い致します。
・瀬尾佳苗 ・北里大学2年 ・身長150センチ前後 ・黒髪ショート、赤メッシュ お願い致します。」
瀬尾(兄)からの情報1
「大学へ避難した学生に話を聞いたところ、妹は車に乗り、大学方面に避難する際に三陸公民館の近くで津波に流されたようです。ただ、車はドライブの状態で、サイドブレーキも下がったままあったらしく、鍵は学生が安全のため取ったらしいです。」
瀬尾(兄)からの情報2
「車を見た方の証言では、車の窓は外から人が割ったような形跡があり、地元の人に引っ張りだされた可能性も考えられます。学生の方が遺体安置所に足を運んでいただいたのですが、そこで確認がされなかったので、まだ妹は必ず生きてどこかにいると信じています・・・。」

 泉友会には、同期の野村江里さんから瀬尾さんの情報収集の依頼が直ぐにきました。早速役員で手分けをして情報を収集しましたが、どこの避難所・収容所にも彼女の名前はありませんでした。瀬尾さんのご家族は、現地で瀬尾さんのアクセサリ−入れやキャッシュカードなどを奇跡的に見付けましたが、瀬尾さんの姿を確認する事は最後までできませんでした。
 瀬尾佳苗さんは、附属大泉小学校・附属大泉中学校に在学中から活発なお嬢さんで、「生き物」をことのほか可愛がり、進学も東京農業大学第一高等学校に進み、馬術部で活躍されました。その後も北里大学海洋学部に進み、大好きな海と海の生物の研究に取組む道を選びました。
 残念ながら、その後の捜索にもかかわらず、彼女の生存情報はつかめぬまま7月になり、江古田の斎場でお別れの会が催され、同級生や後輩の皆さんが数多く集まりました。各校、各年代で担任をされた先生方も多数駆け付け、お言葉をいただきました。お母様の「佳苗は大好きだった海にお嫁に行きました。」とのお言葉に、ご家族の深い悲しみ、絶望、決断のお気持ちが推し測れました。
 泉友会では、前回の会報で「義援金付きエコバック」を販売し、東北大震災の被災者の方へ寄付をするべくご案内しましたところ、多数の方からご購入いただき、また義援金としてのご寄付もいただきました。泉友会では年末にこの金員を瀬尾さんのご家族にお渡しをいたしました。
 昨年成人式を終え、4月4日の21才の誕生日を前に被災された瀬尾佳苗さんには大きな夢、また可能性があったと思います。
 会員の皆様とともに、皆に愛された瀬尾佳苗さんに追悼の意を表したいと思います。

〔文責〕 小嶋 豊彦

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