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特別寄稿 前最高裁判所長官 島田仁郎

前最高裁判所長官
島田仁郎
ご略歴
昭和25年 東京学芸大学附属大泉小学校 卒業
昭和28年 東京学芸大学附属大泉中学校 卒業
昭和32年 東京学芸大学附属高等学校 竹早校舎 卒業
昭和37年 東京大学法学部 卒業
昭和37年 司法研修生
昭和39年 裁判所任官
その後、司法研修所所長、仙台高等裁判所長官、大阪高等裁判所長官などを歴任。
平成14年 最高裁判所判事
平成18年 最高裁判所長官
平成20年 最高裁判所判事定年退官
平成22年 桐花大綬章 受章
現在は、東北学院大学法科大学院で特任教授を務めるなど、多くの法科大学院等で教壇に立たれ、人材育成に多大な貢献をされている。
桐花大綬章とは??
平成15年(2003年)11月3日から勲一等旭日桐花大綬章は、旭日大綬章及び瑞宝大綬章を授与されるべき者のうち功績又は長年にわたる功労が特に優れているものに授与される勲章とし、名称を桐花大綬章(漢数字による勲等表示は廃止)に改めた。勲章の形容は変わらないが「旭日桐花大綬章」ではなくなり、旭日章とは別個の「桐花章」という勲章に分類が成された。日本における最高位勲章のひとつ。
これまでの受章者には、村山富一元総理大臣や平岩外四元経団連会長、扇千景元参議院議長など。
師友の恩

 私が卒業したのは、1950年だから、もう60年も前のことである。過日、同期の畏友山下泰子さんの文京女子大学教授としての最終講義の機会に小中の同期生男女合わせて数十名が参集し、皆で「朝雲光る武蔵野の緑を吹いて」と校歌を斉唱した。その少し前に、同じく同期の親友小久保堯史君から頂いた同期の古希記念DVDで、附中入学当時の学校周辺の風景を見ていたこともあり、校歌を唱いつつ、緑の林と畑に囲まれた校舎・校庭の風景がまざまざと思い出されて感無量であった。ちなみに山下さんは、今年ネパール女性教育協会長としての活躍の功績により自由都市堺の第1回平和貢献賞を授与されたが、当日の講義では、「ああ弟よ、君を泣く 君死に給うことなかれ」と与謝野晶子の反戦歌を音吐朗々と吟じられ、その平和祈願の志の高さに打たれた。小中を通して優等生であった山下さんや小久保君とは違い、私は成績も今ひとつのいたずら好きの悪ガキで、嫌いな音楽や図工の時間には、さぼって学校を抜け出して、隣接していた大学の校庭の草原で寝ころんで雲を見ていたりしたこともあった。「あの悪ガキが裁判官に?」とか「最高裁長官に?」など近況を知る都度、級友達から驚かれてきたものである。そんな私であったが、4年生から卒業までの担任であった中島先生は、とてもかわいがってくれて、私が好きだった算数や国語の授業では、何かというと良く指してくれた。先生の「しまだ、しまだ」と呼んでくれた独特のアクセントが忘れられない。私が最高裁長官に就任後、中島先生と中学の茂木・中西両先生はじめ小中の同期生が大挙して最高裁に来て、皆で祝ってくれたのは、本当に嬉しく、心から感激した。ストレスによる腰の痛みのため途中で辞めたくなった時に、その日の皆の激励を思い起こして、何とか思い止まることが出来た。小・中学校時代の先生、級友は、いくつになっても真に有難い存在で、まさに「仰げば尊し我が師の恩、互いに睦みし日頃の恩」を実感したことであった。中島先生は残念なことにこの3月に亡くなられたが、茂木・中西両先生は未だお元気でおられるし、同期生の多くは幸い未だ矍鑠としており、お互いに時間にゆとりができたせいか、同期の集まりも以前より頻繁になったが、いつも盛況であるのは嬉しい限りである。

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