卒業生にインタビューしました
関根先生(43回生)と早川先生(61回生)の貴重なエピソードも必見です♪
○入学式編
★入子先生が担任を持った最後の学年でした。子どもとしての印象は、おじいさん先生だなぁ〜という感じでした。(36回生/58歳)
★緊張してバラの門をくぐり、母達がほとんどお着物姿だったのがとても印象に残っています。(39回生/55歳)
★先生のイメージキャラクターが描かれた旗(キツネ、ニワトリ、カバ)をそれぞれ持って担任の先生が入場してきた。(57回生/37歳)
★隣の席の子が、幼稚園でも同じクラスでロッカーのペアだった男の子で、お互いにびっくりした。(57回生/37歳)
★緊張しつつも、担任の稲森先生のお話を聞いて、優しそうでほっとしました。(57回生/37歳)
★6年時、入学式準備で1年生の教室の黒板に絵を描いた。学校名が長く、黒板におさまりきらなかったことに驚いた。(78回生/16歳)
○富浦臨海編
★波のうねりが大きく、前を泳いでいる友達が見えたり見えなくなったりするのが楽しかった。大遠泳の前夜に部屋を抜け出しカブトムシを捕まえ、部屋に戻ったら仁王立ちの先生がいて、廊下に正座!今となっては懐かしい思い出です。(36回生/58歳)
★海の上で口に入れてもらった氷砂糖が心から美味しいと思った。(36回生/58歳)
★寒いときは海の中でおしっこすれば温かくなると先生からアドバイスを受けたが、寒すぎておしっこが出ず浜に上がってから慌てて立ちションをしてしまった。(41回生/53歳)
★体を広い大自然の海に乗せ、波を超えながらみんなで泳いだドキドキは忘れられない。浜で相撲をとったりカブトムシを捕まえたことも思い出。(43回生/関根先生)
★OBOGコーチと一緒に食堂で夕飯を食べながらいろんな話をしたり、レクリエーションの出し物の練習を班の仲間で頑張った。交代式のとき歌を歌いながら感動で涙が出てきた。(57回生/37歳)
★隊列の先頭で、どんな波が来ても後ろに続く皆が不安になるような泳ぎにならないよう、植村先生と横のペアを信じて泳いだ。(57回生/37歳)
★4年の頃OGの姉に連れられ富浦へ。海が怖く当時の関根先生の背中に乗って人工島へ行った。5年で2班になり、まだ恐怖があったが無事完泳。関根先生からしおりに「去年の聡君が完泳か。1年間でこの富浦で大きく成長しました。立派です。」とコメントいただきものすごく嬉しかった。その先生と今、一緒に仕事をしているのがさらに嬉しい!(61回生/早川先生)
★富浦寮の改修のため、完泳後のお汁粉が、代わりにまさかのぷるんぷるんゼリーだった!(78回生/16歳)
○きくまつり編
★きくまつりの歌が好きでした。小菊を育て、菊の種をつけて風船を飛ばしました。写真を見ると保護者席も椅子が用意されていました。(36回生/58歳)
★風船に付けた種と手紙の返事が届いたこと。(36回生/58歳)
★6年時、演劇クラブで劇の発表と、練馬区科学教室の研究発表をしました。それまで目立たなかった自分が最後のきくまつりに二つの発表ができたことがその後の自信につながりました。
(38回生/56歳)
★空一面に広がる風船!その光景は今でも忘れられず、その伝統が今でも残っており拝見出来た時は胸がいっぱいに。(39回生/55歳)
★お神輿を担いでお昼はお寿司(海苔巻きや稲荷寿司?)とあんみつが出た。大泉音頭は今と同じでした。(41回生/53歳)
★生活団のもととなる縦割り班活動が始まったばかりの頃、異学年の人たちと骨組みだけの神輿を少しずつ手作りで完成させ、みんなで元気に担いで祝った。(43回生/関根先生)
★生活団でバザーの商品づくりをしたり、野菜交換会など、きくまつりまでの準備ひとつひとつ楽しかった。(57回生/37歳)
★環境問題対策として、ビニール風船から紙風船上げに変わった。(57回生/37歳)
★情報委員会で浴衣を着て大泉音頭を踊った。団の下級生が「今年が一番美味しい菊の子汁だった」と言ってくれた。(78回生/16歳)
○和楽会編
★都民農園で行われていました。小学校低学年時代は50年も前の事なのでよく覚えていませんが、松田さんという6年生と手を繋いだり、フォークダンスを踊ったことは覚えています。(36回生/58歳)
★1年生のとき、身体の大きな6年生がメッチャ大きなおにぎりを食べていて、みんなが見に来たり、写真屋さんが撮りに来たりした。自分が親になたときに、お母さんは笑いのセンスがある方だったんだなと、勉強になりました。笑(38回生/56歳)
★6年生のお兄様に手を引いてもらって行った都民農園。和楽会後もそのお兄様は仲良くしてくださり、冬になった頃あやとりを教えてもらいました。(39回生/55歳)
★2年生のときの和楽会で都民農園まで手をつないで連れて行ってくれた5年生のお姉さんが可愛かったこと。誰だったのか今でも気になっている。(41回生/53歳)
★都民農園まで手を繋いで歩いて行った。途中で牧場があり、牛を見たときは驚いた。(43回生/関根先生)
★石神井公園の舞台がある広場でスーパーマンに扮した先生が生の大根を丸かじりするパフォーマンスをしていた!(57回生/37歳)
★上級生から入団お祝いのプレゼントをもらった。(57回生/37歳)
★出発する前に早川先生が名前しりとりをしてくれて楽しかった。握った1年生の手がとても小さかった。(78回生/16歳)
○運動会編
★1年生の時の追いかけ玉入れで入子先生の足が速く、うめ組はほとんど玉が入らなかったことが懐かしいです。(36回生/58歳)
★5・6年女子「棒倒し」で遠くから駆け寄る敵の足音に心臓がバクバクした。補欠の時、学年別リレーと大泉リレー両方練習しても、本番には出番がなくちょっと悔しかった。(57回生/37歳)
★ダンスでジュリアナを踊って恥ずかしかった。(57回生/37歳)
★背が低く体重も軽かったため騎馬戦では上になるが、簡単に崩される。体が小さいことにコンプレックスを感じていたが、組体操ではほぼ体操服を汚さずに過ごせた。当時初めて「人塔」にチャレンジし、その1番上を担当!前日にやっと完成し当日は一発で決まり、会場がものすごい歓声と大きな拍手に包まれたことを今でも覚えています。(61回生/早川先生)
★閉会式の時、学年や色関係なく横一列で手を繋ぎ行進した。
応援に来てくれた私服の前期実習生に会えることも嬉しかった。
(78回生/16歳)
○お別れ音楽会編
★「ふうせんの旅」を演じました。キャストは教室で歌を歌って決める方法でしたが、友達の前では恥ずかしく歌えませんでした。友達と2人でシンバルを担当しましたが、当日友達が骨折で来られなくなり一人で演奏することに。いつも舞台を見ながら演奏していたので、全てのキャストのセリフを覚えていました。(36回生/58歳)
★昔のオペレッタはオリジナルの劇ではなく、私達は「サウンドオブミュージック」をやりました。(41回生/53歳)
★オペレッタでは「オズの魔法使い」を発表。幕が開くとき「よし、やるぞ!」と気合を入れ両手の汗をズボンで拭いた。スポットを浴びながらみんなで発表できたことは一生の思い出。(43回生/関根先生)
★卒業生のオペレッタ主題歌や挿入歌を歌い込んだため、1年の頃のオペレッタの歌を今も歌うことができます。(57回生/37歳)
★練習の時、壇上で手に持っているリコーダーを落としてしまうと、入場から全員やり直し…(57回生/37歳)
★1年生が、自分が1年の時に歌った曲を歌ってくれて感動した。オペレッタの後、1年生と一緒に歌って踊ったことが忘れられない。(78回生/16歳)
○思い出の先生編
★1年時の担任石井先生。野球が大好きな先生で、チャイムが鳴り終わっても座っていない人には「アウト」、座っている人には「セーフ」と言っていた。自分は「アウト」が多かった。ダジャレ好きな面白い先生の影響か、私も1年生にダジャレを多く使っている。(61回生/早川先生)