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学校の近況
俊傑会より

高橋 壯之先生

高橋 壯之先生
四十年の歴史を大切に
後世に残そうということでした。

私が副校長として在任中、昭和五十三年は附属大泉小学校が誕生して四十年。四十周年記念事業として考えたことは、四十年の歴史を大切に後世に残そう ということでした。四十年は必ずしも長い年月とはいえません。しかし、ここで菊の園の足跡を記録に残したり、行事や骨格をしっかりしておかないと、伝統が途絶えてしまうと考えたからです。そこで、四十周年に際し行ったことは・・・

菊の園の校旗の新調
現在の校旗がそうです。俊傑会の先生方にご寄付いただき、百五十万円近くかけました。

木下一雄先生揮亳の書
応接室にある掲額「潔(きよ)くはるけき希望(のぞみ)もちて」が大泉師範学校初代校長 木下一雄先生の書です。

創立四十周年記念誌「のぞみ」の編集
当時の社会科の先生方の清水明朗氏、原田修一氏(故人)、松村昌俊氏、梶井貢氏等が執筆しました。表紙の題字は小林たな子氏(故人)。現在の六十周年記念誌の元になっています。

泉友会の再建
泉友会はあったのですが、有名無実。組織的な活動は行われていませんでした。そこで泉友会組織の再建、泉友会名簿の整備に努めました。学校側は稲森京子氏が中心になり、泉友会からは白瀬泰久氏(故人)、宮原栄子氏、松石献治氏、小島豊彦氏をはじめ、多くの方々の献身的なご尽力をいただきました。今日、泉友会の着実な歩みを見るにつけても四十周年記念事業に携わった教職員、泉友会、保護者など、すべての方々に感謝を捧げます。


長谷川 順義先生

長谷川 順義先生
生活目標の1番は「きくの園のこどもです」で始まります。

附属大泉小学校の生活目標の1番は「きくの園のこどもです」で始まります。校章も菊の花がデザインされ、子どもたち はきくの子と言われています。沿革にも昭和38年には伝統のあった「とりいれまつり」を「きくのまつり」と改称したと書かれています。きくと大泉とは切っ ても切れない関係にあるのです。

し かし、私が在任した昭和40年頃の大泉小には菊の花が校庭にわずかに咲いているだけでした。今のように菊を本格的に育てていなかったのです。きくまつりに なるとたくさん菊を買ってきて飾ってお祝いしました。間もなく子どもたちの菊を育てる活動を大事にしようと言うことになりました。初めは差し穂が全滅する ようなこともありました。大事をとって教室に入れて置いたのが原因でした。屋上にきく置き場を作ったこともありました。それも夏休み中に暑さにやられて失 敗しました。

近所の方に菊を作っていらっしゃる方があり、その方に指導していただいてようやくみんなが小菊を作れるようになりました。堆肥を作るために遠足の時落ち葉を集めて袋に入れて電車に乗ったこともあります。皆さんのおかげで名実ともに菊の園になりました。


菊池 建夫先生

菊池 建夫先生
「菊まつり」の最後に空高く風船を揚げました。

昭和36年の5月に結婚。着任早々でしたので、2日間の休暇をいただきました。職場に迷惑をかけてしまったという思いでした。現在の慶弔休暇からは想像も出来ないものでした。

昭和38年4月に長男が誕生。校長先生に「生まれました!」と報告。「何匹生まれた?」と尋ねられ驚きました。次の瞬間私が飼育委員会担当でウサギやニワトリの世話をしていた事に気が付きました。言葉足らずが生んだ結果です。

昭和44年生まれの次男は酉年ですが「何羽かえった?」といわれぬように気を付けての報告でした。

昭 和43年の「菊まつり」に風船を飛ばすことを提案し、「菊まつり」の最後に空高く風船を揚げました。業者は秋に使う風船を早くから準備したのです。冬にゴ ムを膨らませ「菊まつり」と印を押します。それを鍋で煎って秋まで床下でねかせておくのだそうです。「菊まつり」当日リヤカーに風船とヘリュウムボンベを 積み、江東区からバイクで運んできました。これだけの苦労をした風船は1個20円でした。風船を拾った方たちとの豊かな交流。今は環境に配慮し紙風船と聞 いています。

昭和52年にポプ ラを10本植えました。運動会の歌詞の中にポプラを歌っていますが、校庭にポプラが一本もありませんでした。10本の小さかった苗も、子どもたちの望みを 育むように大空に向かってまっすぐに伸びています。昭和52年退職前の担任だった1年生。今年は36歳のすてきな紳士淑女です。ポプラの木以上に立派に成 長し、社会で活躍中。今まさに夢を現実のものにしています。


梶井 貢先生

梶井 貢先生
学級・学年集団とは異なる教育効果を
生み出せると確信したのです。

菊の園には昭和48年度から昭和63年度までの16年間奉職いたしました。この間、特に印象深い思い出は、生活団の設立にかかわることです。

い まや菊の園にとって、1年生から6年生までの縦割りによる生活団の活動は不可欠です。毎日の清掃、菊まつり、菊づくり、和楽会、全校遠足など全て生活団で 実施されています。この生活団が本格的に誕生したのは、昭和52年のことです。すでに30年の歴史を刻んでいることになります。当事附属大泉小学校では、 「豊かな人間性の育成」の研究に取り組み、仲間意識を育成する分科会に所属した酒井繁典先生や私が中心になり、新しい集団づくりを考えました。その時大き な手がかりを与えてくれたのが、私の学級のO君でした。

彼 は、学級では必ずしも十分に信頼を得ていません。しかし、驚くことに1・2年生には絶大の人気があり、このお兄さんに下級生がぞろぞろとつき従っていまし た。異学年集団(ピア・グループ)を編成することで、学級・学年集団とは異なる教育効果を生み出せると確信したのです。他校の取り組みにもヒントを得まし たが、これほど幅広い活動に、そして毎日の清掃にまで徹底して行っているのは、附属ならではです。だからこそ、毎年卒業式の門出送りの際には、一年生が卒 業生に向かって、「お兄さん、お姉さん別れないで。」と涙する光景が見られるのだと思います。

地域での遊びや生活の中で経験できなくなった、学年を越えた思いやり、助け合いが今後も生活団の活動として継承されるように期待するものです。

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